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マニカ

昨日、関西テレビ(8チャンネル)において、「世界がもし100人の村だったら」という、有名な書籍の名前を冠にしたドキュメンタリーが放映されていました。しかし、途中までこの番組を見たものの、結局なぜこの番組名にしたのかがわかりませんでした。

もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間二倍の祝福をうけるでしょう。 なぜならあなたの事を思って,これを伝えている誰かがいて, その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。

今記したのは、原著に含まれる有名なくだりです。
そもそも、私はこの話は好きではありません。わかりやすく不公平を表現し、無知の悪を理解するには絶好の尺度であるとは思います。しかし、私はそれほど聡明な人間ではありませんので、「自分より悪い境遇の人はたくさんいるのだから、安心しろ」と見えるのです。まるで「上見て暮らすな。下見て暮らせ」です。
少なくとも、自らの優越を再確認し上から見下すような詩なのに、問題提起に繋ぐような使用方法は、そもそもそぐわないのではないでしょうか。

20050515-tv1.jpeg今回の番組では、最初にマニカという女の子を紹介していました。
フィリピンの首都、マニラのゴミ処理場で、学校にも行けず毎日ゴミ拾いをして生計を立てている女の子で、番組中では繰りかえし「父親が殺され」と紹介していました。
この中で、マニカのVTRの終盤で、さらっと非常に重要なキーワードを話していました。それは、「マニカは街に出ても、市民から後ろ指を指され、石を投げられることもあります」というところです。
番組ではマニカのことを、私たち(日本人)とは違うセグメントにいる恵まれていない人のひとりとして表現していました。マニカは「私たちの生活」と語るのに対し、匂いについて聞かれて酒井美紀は涙を流していました。酒井美紀は、自らとマニカとの間でセグメントを分けました。
マニラの市民は、匂い(生活場所)によって、差別民としてマニカの事を見ているわけですが、テレビクルーの取材姿勢まで、そのようなマニラ市民と同様の「被差別民」という思いを持っていたことは明らかです。

20050515-tv2.jpeg例えば、発展途上国であるフィリピンにおいて、政策が追いついていない現状を語るのであればよいのですが、差別を生む偏見が露骨に見える表現はふさわしくないのではないでしょうか。ましてや、「世界がもし100人の村だったら」に掛け合わせて表現すること自体、マニカをはじめとした不遇の人々に対して失礼に当たります。
もちろん、どのような表現がいいのかノーアイデアではありますが、少なくともあの取材姿勢と涙は、滑稽に見え、途中でチャンネルを変えてしまいました。

なお、100の人で 1000 を分け合う際に、平等なのは10ずつ分配することです。しかし実際には、100が5人、20が20人、5が15人、1もない人が多数という国も多数あります。幸い、日本は1億総中流家庭なので不満が少ないのですが、社会は着実に差を生む方向へ向かっています。これから、日本も他人事ではなくなる日が来るのかもしれません。
ただ、差が生まれるのは現代の社会では当然の帰結とはいえ、完全に美化し「かわいそうな人」という報道は、同情は得られても、所詮は他人事の域を出ないのではないかと思います。

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コメント (15)

大橋:

はじめてメールいたします。私はこの番組を見て、上記のような感想は持ちませんでした。この詩は、「自らの優越を再確認し上から見下すような詩」なのでしょうか? 私はこの詩はただ現実を伝えているだけだと思います。そして、「自分がどんなに恵まれた環境で暮らしているかが解りますか? 解ったとしたら、あなたは次に何をしますか?」というメッセージを発しているのではないではないかと思って受け止めています。自分より境遇の悪い人がいることを知って、私たちは安心できるのでしょうか? この詩は自己中心的な先進国の人々に自分の置かれている状況を知ってもらい、他の村人たちのために次の行動を起こしてくれることを期待している詩なのではないかと思います。ですから、この詩がこの番組で使われたことは不自然でも滑稽でもないと思います。私はこの番組を見て、この私はマニカのために一体何ができるだろう、と考えさせられました。

伊藤:

これはあまりにも穿った物の見方だと思います。「同情」でも「かわいそう」といった感情でも、レポーターの酒井美紀が流した涙は、自分自身には何も出来ない無力さを理解した上でのものだと思います。それとも、報道する側は、自分たちのサラリーを取材相手に等分に配分しなければならないのでしょうか。ともに暮らさなければならないのでしょうか。差別は厳然と存在し、生まれた国や地域によって絶望的なまでの生活レベルの格差があることや、一人の人間では何も出来ないという事実を認識することも重要だと思います。理想主義を掲げて番組を批判してみても、対案がセロでは批判のための批判にしか見えません。酒井氏に対して極めて失礼だと思います。

スパロ:

君はなぜそんな素敵な笑顔を持ってるの?
どうすれば、皆が幸せに暮らせれるの?
僕は一体何ができるの?
自分が許せなく思う
「可愛そう」と口にする資格などない
何もわかってないのだから

Anonymous:

その考え方が最低!

Anonymous:

とにかく、考えさせられます。
何も出来ない。何かしたいが・・
何かできる事は無いのでしょうか・・

hyori:

とにかく、考えさせられます・・
何も出来ない自分・・・

生きる:

こんなに恵まれた世界にわたしはすんでいいの?心が暗くなるなぜ苦しい現状をたちきれるの?あなたの笑顔は生きる力を生み出してくれるすばらしい笑顔だよ

ケンスケ:

番組名については、疑問が残りますが、酒井さんの涙は本物でしょう、あんな現実見せられたら、誰でも何も出来ない自分に涙するでしょうネ、何かしたい・何が出来るかを考える のがこの番組からの僕らへのメッセージでしょう?今の日本人なら、ほとんどの人は、マニカの日々の生活くらいなら助ける事が出来るでしょう?その先の解決方ってなんなんですか?

ミキオ:

たしかに、マニカちゃんに食事をすすめられた時に、酒井美紀さんが泣いたのはちょっとひっかかった。(おさえきれなかったのだとは思いますが、ちょっと失礼じゃないのかなぁ。) それから番組としてはいろいろな国の子供たちの現状を放送するということは意義があるとおもう。 (マニカちゃんに少しでも出演料払っているといいのだが、そうすれば少しの間だけでもご飯が食べられる。)

ひろ:

管理人の意見におおむね同意できる。

おれもなんとなく物足りなさを感じたというか、ただかわいそうという部分だけがクローズアップされていて、この世の中のシステムというか、強いものが弱いものを支配している構造・頭のいい人がルールを作って、十分な教育を受けていないひとが利用される世の中。

そういった中から生まれる差別であるとか格差社会というのは、日本国内においてもフィリピンとは程度は異なるけれど存在するわけで、そういった根本的な社会の歪みというか、それが極端になれば大きな問題として表面化するわけだが、そういった問題提起まで持ってこれていない番組構成と感じた。

高い視聴率を得るためのお涙頂戴番組といったら冷め過ぎた意見だとおもうが、客観的に考えてしまえばそうともとれる構成とも言えなくはない。

個人的な意見として、とくにスタジオに居る司会者やゲストなどの面子をみるとそう思う。

ただ管理人の述べる「取材姿勢と涙は、滑稽に見える」の部分で、あのレポーターの涙は別に滑稽には見えなかったが。

ごみやまでくらすあの少女をまのあたりにして、あのレポーターはあなたのようにクールになれるとはおれは思えないから。

彼女の見せた涙は構成ではなく、人が現実をどう処理してよいのかわからない時にでる自然なものと少なくとも俺は感じた。

彼女は冷静に主観を述べるジャーナリストではないし、単なる一女優なので一般庶民と同じ感覚であったであろうと俺は思う。

えー:

すいません。えー、3点程

・「報道は、同情は得られても、所詮は他人事の域を出ない」とありますが、報道の趣旨はどうでもいいですよね?

・アイディアがないならば、アイディアを搾り出しましょう。(他人事じゃないなら、自分のことでしょ?)

・酒井氏に対してのコメントはどうでもいいですよね?

問題を再認識して頂けると幸いです。
口でゴチャゴチャ言っても何も始まりません。。。

きみ:

あなたの意見は恵まれている人がそうでない人に「何もしない」のを前提として意見していますが、はたして世の中はそういう人ばかりでしょうか?

k.k:

上記の方は心がひねくれているのでしょうか。
マニカさんにご飯をすすめられたら普通の心の持ち主だったら誰でも自然と涙が出てくるよ。
酒井さんと違って私だったらおいしく感じるだろうけど。
こっけいと感じる人がいるとは夢にも思わなかったのでたいへんびっくりしております。
同じ日本人としてこんな人がいるなんて恥ずかしい限りです。
上記のコメントを読んでこの度は大変な憤りを感じました。

やすこ:

始めまして。マニカちゃんを何とかしてあげたい!!だけど時間もお金もなくって。どうしたらいいのか何日も考えて、今日はいくら稼げたかしらと心配ばかりするようになってしまいました。せめて毎日ご飯の食べれる生活ができたらと思うよ・・
アラブの石油王様に頼んだらきっと何年も生活できるほどお金寄付してくださると思うけど、それでいいのかと言ったらいつまでも続く話じゃないし、せめて彼女が大人になるまでに小さなことでも私に何かできないかと思いついたんだけど。笑わないでくださいね。古着を送ってそれを売ってみるのはどうかしらと思うんです。これもいつまで資源があるかわからないけど、そんなこといってたら今が暮らせないしどう思もわれますか?缶拾いは、毎日の仕事として、しなくてはならないと思うしなんか、考えているだけで胸が締付けられてきて、毎日マニカちゃんの顔が浮かんできてお母さんも元気になって欲しいしやっとこの思いを投稿する場所を見つけました。

ババイ:

いつの世も報道に歪はあるのは常ですが、僕はマニカが言った『家族の為に(家族がひきさかれない為に)私ががんばらなきゃならない』という言葉に僕は純粋に涙しました。たとえその言葉がマニカの本意ではないマスコミのヤラセだとしても、日本の同世代の少年少女の生活と比較して、想像を超える格差があるのは事実なわけで、その現実をまのあたりにして感じる「自分が恵まれていることに感謝する気持ち」に悪意はないのではないかと思うのです。病気になってはじめてわかる健康のありがたさと同じで、自分がいかに恵まれているかなんて日本にいるかぎり理解できないと思いますよ。酒井さんの涙は自分の無力さ+自分が日本で何気なく過ごしている生活とのギャップからの感謝の気持ちではないのかと思います。少なくともマニカのひたむきな笑顔に偽りは感じられませんし、ゴミの中に天使を見出したような笑顔でした。

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2005年05月15日 11:48に投稿されたエントリのページです。

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